<オーディオ専業メーカー「SANSUI」でのアルバイト> |
学生時代にアルバイトで山水電気の水戸出張所から派遣され、百貨店などの売り出し期間中の臨時販売員として勤務していました。 |
当時は出張所ということで金子所長とサービス担当久保田さんの二人と、茨城大学の学生だった宮本氏と私の四人で仕事を分担してい |
ました。それまでの体制は学生アルバイトをボーナス時期に採用して百貨店を中心に派遣していましたが、専門知識が無い学生を派遣 |
しても効果は期待できないことから採用を止めて私と宮本氏の二人だけ残した体制となりました。お陰で仕事は忙しかった分、日当が |
当時の一般よりも5割増し程度支給されたので頑張りがいのあるアルバイトでした。何度か焼鳥屋でニンニクの串焼きを「これを食べ |
て明日も頑張れ」と無理矢理食べさせられたり、業界の話題などの幅広いお話と共にお酒をご馳走になったことを覚えています。当時 |
はオーディオブーム真っ只中の時期で市内の百貨店には全てオーディオコーナーが設けられていましたので、複数の店舗を廻って商品 |
陳列や接客を行う毎日でした。この頃のSANSUI商品では人気の高かったプリメイン・アンプのAUー9500などを中心に販売 |
促進を続けていましたが、他に山水電気が輸入代理店であった「JBL」ブランドのスピーカーを中心に活動していました。昭和50 |
年前後ですからJBLといっても10万円以下のL16やL26が中心で、他にはSANSUIブランドでJBLのフルレンジ・ユニ |
ットを使用したMonitorシリーズの2115、2120,2130などがラインナップされていましたが、欲しがる人が沢山い |
てパンフレットはどんどん減っても商談成立には行き着くことが少なく、在庫は思ったほど減ることはありませんでした。このアルバ |
イト期間中に当時の最高峰であった「パラゴン」や「オリンパスS508」、それにプロフェッショナル部門の「MODEL4350 |
」などに接することができたことからオーディオに益々のめり込んでいくこととなりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<アルバイト先は「PIONEER」と「ABCサウンド」> |
学生時代にパイオニアのヘルパーとして長い期間アルバイトを続けていました。その殆どの期間は、杉浦氏が独立してオーディオ専 |
門店「ABCサウンド」を開業したことによる派遣社員としての勤務で、その後も従業員が確保できるまでの期間はABCサウンドで |
アルバイトを続けました。この期間中はオーディオ・ブームと重なっていましたので大変忙しい毎日を送っていました。連日のように |
店を訪れるマニア層との会話によって知識を深めることが出来たことで、更に奥深くまでの知識を得ようと自らも次々と機器を購入し |
てオーディオ漬けの毎日を過ごしました。以前のアルバイト先の山水などでもそうであったように、メーカーヘルパーという立場から |
すれば派遣されているメーカーの商品を専門に売ることが使命なのですが、私の場合は相対している客は自分自身と同じく純粋に音楽 |
を楽しむための道具を求めにきている訳なので、少しでも相性の良さそうな商品を選択してあげることを重視して相談に載っていたこ |
とからメーカーを問わずに販売を続けていました。それでも派遣されていた百貨店などの担当者から売り場としての実績が上がってい |
るので指名していただいたことで首にもならずにアルバイトを続けることが出来ていました。このABCサウンドは個人で独立した店 |
舗でしたから、何よりも売り上げを増やすことが第一ですが、やはり手助けをしてくれるメーカーの存在がなければ資金力の点からも |
展示商品を陳列することさえ難しいことになるので、出来る限りの販売促進協力を心掛けて接客を行っていました。しかしマニア層相 |
手に押し売りを試みたことを悟られれば、二度と来店は望めなくなってしまうことが自分自身として分かっていたことで、メーカーの |
担当者には申し訳無かったのですがだんだんとメーカー色は消えて行きました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<昭和49年頃 TANNOY「V LZ」第一印象は???> |
繁華街でも中心的な存在の百貨店がビルを建て替えて新装オープンした時に、時代の波でオーディオ・コーナーがミニ放送局と併設 |
されて出現しました。オーディオ・ブームの先駆けといえるもので、目新しさもあって大勢の客が出入りしていました。それまで一部 |
の人に限られていたオーディオが、さまざまなコンポーネント・スタイル機器の出現により卓上プレーヤー等でレコードを楽しんでい |
た人が、一気にそれまでのセパレート・ステレオ主流から飛び越えて高性能なシステムを手に入れることが出来るようになりました。 |
国内オーディオ専業メーカー数社が一部のマニア向けに生産していた技術を吸収して、大手家電メーカーの殆どが別ブランドを立ち上 |
げ一気に大量の製品を供給することが可能となったこともあり、一般の人々でも高性能なオーディオ機器を手に入れることが容易にな |
りました。しかし海外製品となると話は別で桁違いの価格であったため、当時では秋葉原などへ行かないと見ることも不可能なもので |
した。私も短期間に雑誌などを読みあさって知識を蓄えながらアルバイトに精を出して資金を作っていた頃に、丁度新装オープンした |
ばかりのこの百貨店に立ち寄りました。すると、雑誌で見たことのある海外製品も陳列されており「JBL」など数社のスピーカーが |
目に留まりました。しかし価格が国内メーカーとは比較しようがない大きな壁となり、「音質」を聴いて参考にしようという考えまで |
に至りませんでした。店内をうろついていると、店員の人が近づいてきて話しかけてきました。暫く話を続けていると今回の予算に納 |
めるには無理ですが、将来的に方向性を決めてこの趣味を続けていくとが大事なことなので、せっかくの機会ですから幾つかのスピー |
カーの特徴をお聴かせしますから「参考にしてください」ということになり、説明と音楽を交互に聴きました。最後に「TANNOY |
」という小さくて奥行きの無い見た目もぱっとしないスピーカーを聴かせてくれましたが、名称も何と読むのか不明?で更に音もぱっ |
としないものでした。イギリス製でクラシック・ファンに絶大な人気のスピーカーであるという説明でしたが、このときは全く理解す |
ることはできませんでした。このスピーカーこそ「VLZ」だったのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<昭和51年頃 TANNOY「Rectangular York」購入!> |
オーディオを生涯を通しての「趣味」として続けて行こうとの思いは強くなる一方でしたが、求める「音」の方向性が定まらずに国 |
内製品から「JBL」や「アルティック」とアルバイトに精を出して次々と入手していきましたが、解決の糸口さえ見つけることが出 |
来きずにいました。そうしていた頃に、イギリス製の「TANNOY」社の工場が火災で焼失したことで今後の入手が困難になるよう |
な話を輸入商社からの連絡で知ることが出来ました。当時はパイオニアの販売促進員というアルバイトで専門店などへ出向していまし |
たので、いち早く情報を得ることが出来ました。この機会を逃したらばチャンスは無くなってしまうかもしれないと考え、出向してい |
た専門店のご主人に相談して確保してもらうことが出来ました。この時は5セットほど確保して、出入りしていたお客さんにも話をし |
て完売できたことで店の不良在庫にもならず、私自身も1セットで45万6千円也を、長期間のクレジット契約にて店への支払いを済 |
ませることが出来ました。その後にイギリス中からかき集めたと思われる製品が日本国内に輸入されたのを最後に、工場は再建されて |
も旧製品は製造されることは無く、ロゴマークも商品構成も全く新しいデザインのものに変わっていきました。その後輸入商社扱いか |
らオーディオメーカーが輸入から販売を取り扱うようになって暫くすると、旧製品の一部復刻版の販売も手掛けるようになりました。 |
オーディオを本格的に始めてからは、当時流行っていたエアーチェックと呼ばれていた自作のカセットテープや、生演奏を録音した通 |
称「サンパチツウトラ」と呼ばれたオープンリール・テープを中心に聴いていましたが、レクタンギュラ・ヨークを手に入れてからは |
LPレコードを専門に聴くようになりました。以前所有していたレコードは一度処分してしまっていたために、市内にあった老舗レコ |
ード店で薦められた一枚の「Vn協奏曲」のLPを購入してきて毎日のように聴き込みました。暫くの間はこの一枚のレコードばかり |
聴いていましたので、さぞかしご近所迷惑だったことと思います。そのLPこそが今でも私の愛聴盤である「メンデルスゾーン/チャ |
イコフスキー・ヴァイオリン協奏曲/ミルシティン/アバド/ウィーン・フィル」で、今聴いているのは同じ録音の再販レコードです |
が、当時のレコードも問題なく再生することは可能ですが大切な思い出の詰まったものですから大事に仕舞ってあります。このレコー |
ドとレクタンギュラ・ヨークの相性は抜群で、オーケストラのダイナミックさと繊細さを兼ね備えた演奏を再生するにはもってこいの |
スピーカーでした。巡り会えた「音」に私の求める方向性が見えだして益々オーディオにのめり込んでいきました。・・・・・・・・ |
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<昭和52年頃はレクタンギュラヨークで大満足?> |
レクタンギュラヨークを鳴らして管弦楽曲を中心に毎日レコードを聴き込んでいましたが、全体の音量を上げずに厚みのある再生音 |
を出すことが出来ないだろうかと考えながら聴くようになっていきました。我が家でのスピーカー配置可能な場所は1カ所しかありま |
せんので、あとは角度や壁からの距離と聴く側である私自身の位置関係などで微調整を行って最良の音を探るほかに手だてはありませ |
んでした。考えられることは何でも試してみましたが、厚みのあるものを押さえて少なくすることは容易でも逆に無理に出そうとして |
色々な方法を試しましたが、必ず弊害が発生してしまい大きな壁となりました。根本から考え直さないといつまで経っても堂々巡りで |
先が見えてこないかもしれないと思うようになっていきました。どうすればよいものかと思案の日々が続いていた時に、オーディオ関 |
連の代理店を経営していた知人が所有するオートグラフを貸し出してくれるという話が持ちあがり、ご厚意に甘えてお借りすることが |
できました。思っていた通りの厚みのある雄大な音が拡がりをみせて満足の出来るものでした。これは何としてでも手に入れるほかに |
道は無いと思い手配をお願いすることになり、最初に搬入していただいたセットは私のわがままでキャンセルしてしまいましたが、い |
やな顔もせずに別のセットを搬入していただくことが出来たお陰で現在まで使い続けることが出来ています。ALTECのA7ー50 |
0−8という劇場用のスピーカーで有名なA5の姉妹機を我が家に持ち込むことでは失敗しましたが、オートグラフは本体の大きさで |
は勝るとも劣りませんが、出てくる音の傾向が全く違って体積の無い我が家でも十分に鳴らすことは可能と確信しました。パワーを押 |
さえても中低域が軽くなることもありませんし、高域がぎらつくこともありませんので、あとは将来的に予算を作り重量感のある音色 |
を引き出すことが可能なアンプで中域の補正をすることが出来ればベストの環境を完成することが出来ると考えました。その後になっ |
てMcIntoshのMC2500を繋いでみると、世界観が変わってしまうほどの衝撃を受ける余韻に出会うことが出来ました。そ |
の時以来、我が家の名コンビとして使い続けています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<平成元年以降〜究極の選択〜マルチアンプ・システムの構築> |
平成元年より付属のネットワークの使用を止めて、マルチアンプ・システムを採用しています。これにはレコード制作会社が、それ |
ぞれの設定レベルでレコードを製作しているという理由があります。アナログLPなどで使われているフォノ・イコライザ(RIAA |
偏差)は一応統一されているものの、録音レベルなどは各社で独自に設定しているようです。これによりプリ・アンプのボリューウム |
やコントロールだけでは調整しきれない差が生じてしまい、レコード会社によってはシステムに適合できないものが発生してしまいま |
す。私も音質に影響が出ない高精度の部品を使ったライン・アンプを購入して、微調整を行ったりしましたが、結局は良い響きを得る |
わけにいかず断念しました。長年グラモフォン盤を中心に聴いていたためか、我が家の音作りがグラモフォンに合わせたものになって |
いたことで、他のレーベル所属のアーチストを聴くことが出来ませんでした。それでも聴きたい一心でLPやCDを購入しても、1回 |
で聴くのをやめてしまったレコードがキャビネットに沢山眠っていました。アキュフェーズの出原社長宅のシステムを試聴させていた |
だいたときに、自分なりの考えがまとまりマルチアンプ・システムの構築を進めることとなりました。その後、何度もアキュフェーズ |
の技術者などから助言をもらいながら、1年ほど掛けて各レコード会社のレベル差などを詳細に数値化してから、所有している全ての |
レコードの基準値を設定しました。アキュフェーズのF−15は0.5dBステップで調整が可能でしたから、プリ・アンプのボリュ |
ウムを固定したままで歪を感じるギリギリのポイントまで上げて一曲を聴き終え、次回は高域か低域を0.5dB上下させることを2 |
年間繰り返しました。こうしてレコードごとに設定値を決めることが出来たことで、アンプのエージング中にF−15の設定値を変更 |
するだけで、愛聴盤全てを良い響きで楽しむことができるシステムが構築できました。しかしプリアンプを管球式のC22に変更して |
からは冬場以外にアナログLPを聴くことが出来なくなってしまい困っていますが、トランジスタのC34Vに戻すと半年掛けてC2 |
2の中域を生かすことが出来ている現在が無駄になってしまうので、毎日CDばかり聴いています。LPは「冬場だけの楽しみ」も良 |
いのではないでしょうか?。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<アナログ・LPレコードからデジタル・CDへの移行> |
昭和から平成へと年号が変わって数年経った頃には、それまでのLPレコードからCDへと音楽ソースの主流が変わっていった頃で |
もありました。私は周りの人々が次々とCDへと移行してゆく中で孤立しかけていました。何としてもその音に対しての抵抗感を払拭 |
できずに、時には拒絶感を露わにすることもさえもありました。「雑音も音の内」というのが考えの一つとして根強くあったことから |
、「余韻」というものには耳には聞こえない周波数帯までの幅広い音が影響しあって届くもので、「直接音」或いは「間接音」がスピ |
ーカーの振動によって生まれてから空気伝導としてスピーカー・ボックスから放たれ、部屋の壁などからの反射音も含めた音の集合体 |
が耳に到達して初めて聞こえる訳で、そのプロセスを必要としないならば「ヘッドフォン」で聴けばよいのではないだろうかというの |
が私の考えであった。以前オーディオ専業メーカーの技術者が自宅を訪問してくれた時に、オシロスコープなどの機器を持参して部屋 |
の音響特性を測定してくれたことがあったときも、純粋な音楽信号以外は邪魔者扱いをする傾向にありました。本当にそれでよいので |
あろうかと私の考えを言いたい放題伝えると不思議そうな顔をして帰っていきました。残されたプリントデータグラフには必要ないと |
される周波数帯の部分に印が付けられていました。私にとっては重要な低域部分は特に「音響特性上吸音することが望ましい」との意 |
見が付け加えられていました。その後、川上氏から「CDプレーヤーを開発中なので試作機が準備できたらば直ぐに持参するので試聴 |
しないか」と連絡が入り楽しみに待つことにしました。その間に拒絶反応ばかりしていた私も、多少なりとも考えを緩めようと気持ち |
を替える努力をしましたが、簡単に切り替えることが出来ずにいました。暫くして試作機が届いて試聴すると、いままでに何台か聴い |
たことのあるCDプレーヤーとは違った良いものを感じましたが、技術的な説明の理解はできても単純に音に対する理解にはもう少し |
時間が必要に思えました。しかし、世の趨勢が変わってゆくことは間違いないことでもあり、今が決断の時と考えて価格も発売時期も |
未定のプレーヤーを予約することにしました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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<パラゴンの存在を知り〜夢が実現したのは20年後!> |
学生時代にアルバイトで「山水電気」のヘルパーをしていた頃に存在を知りましたが、当時の価格でも150万円程度しましたので |
学生のアルバイトで購入できる代物ではありませんでした。いつかは手に入れることを夢見ながら「オーディオ」にのめり込み、30 |
歳を過ぎた頃に再び「パラゴン」の購入を試みましたが手の届かない状況になっていました。それからもことあるごとに言い続けてい |
た平成6年の4月に「そんなに欲しいなら、譲っても良いよ」と「山水電気」の代理店を経営していた知人が自宅で使用していたもの |
を譲ってくれることになりました。代金の工面に一苦労しましたが、長年の「夢」を叶えるためなのですべてをつぎ込みましたが、大 |
問題に突き当たりました。幅2メートル60センチ、重量300Kg超を設置する場所が我が家にはありませんでした。しかたなく学生 |
時代からのお付き合いだった「オーディオ専門店」を経営していた知人に預かってもらうことになり、一件落着となりました。その後 |
、敷地内に趣味専用の部屋を建てたことで受け入れがやっと叶いました。主にセリーヌ・ディオンやダイアナ・ロスなどの女性ボーカ |
ルを中心に聴いています。本来はジャズを聴く予定でいましたが、オスカー・ピーターソンやMJQなど以外は聴きませんので、次第 |
に女性ボーカルを聴く時間が増えてしまいました。他には60年代から70年代のロックと学生時代に良く聴いたフォーク・ソングや |
美空ひばりなども聴くことがあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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